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東京地方裁判所 昭和57年(ワ)12810号 判決

原告兼亡中本勇次郎訴訟承継人原告 中本幸枝

〈ほか二名〉

右三名訴訟代理人弁護士 松石献治

右同 大谷好信

被告 深見照男

右訴訟代理人弁護士 高田利広

右同 小海正勝

主文

一  原告らの請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告中村幸枝に対し、金四三六八万六一二七円原告中本時仁及び同中本貴恵に対し、各金七二八万一〇二一円並びに右各金員に対する原告中本幸枝については内金三九九三万六一二七円、原告中本時仁及び同中本貴恵については各内金六六五万六〇二一円に対する昭和五六年一〇月三一日から完済に至るまで年五パーセントの割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  第1項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告中本幸枝(以下、原告幸枝という)は亡中本時範(以下、時範という)の母親であり、原告中本時仁(以下、原告時仁という)は時範の弟、同中本貴恵(以下、原告貴恵という)は時範の妹である。

(二) 被告は肩書住所地で内科、外科、胃腸科を標傍する深見医院(以下、被告医院という)を開業している医師である。

2  時範死亡に至る経緯

(一) 時範は、昭和五六年五月頃、翌年三月に控えた歯科医院開業準備や日々の勤務医としての仕事に忙殺されていたが、体の不調を覚え、同五六年五月一九日、被告の診察を受けた。被告は、時範の症状を十二指腸潰瘍と診断し、投薬、注射等の加療を行った。

(二) 被告は、同月二三日以降数回にわたり、時範の腹部等のレントゲン撮影を行ったが、そのレントゲン写真をみた後も時範の症状に対する十二指腸潰瘍との診断を変えず、従前どおり十二指腸潰瘍に対する加療を続けた。

(三) 時範の症状は一向に改善の跡がみられず、同年七月に入ってから時範の体力は著しく衰弱し、同月二六日は日曜日にもかかわらず、被告医院の看護婦が時範に点滴までするようになったが、被告の治療は従前通りであった。

(四) 時範は、同月二七日、原告幸枝らと被告医院を訪れレントゲン撮影の結果を尋ねたところ、被告より胸部レントゲン写真を示され、胸部の断層写真を撮ることのできる病院へ行くことを勧められた。

(五) そこで、時範と原告幸枝らは被告医院を退去して直ぐに佐々木病院を訪れ、治療を受けたところ、時範は、同病院の宿直医から即時入院を言い渡され、同夜同病院に入院した。

(六) 時範は、翌二八日、佐々木病院院長関興二医師の診察を受けたが、同医師は触診の結果直ちに胃癌の恐れがあると考え、その旨を原告幸枝らに伝えた。その後、時範は、同病院において胃カメラ等の精密検査を受けた結果、かなり進んだ段階の胃癌であると診断された。

(七) 時範は、同年八月六日、佐々木病院において開腹手術を受けたが、すでに症状はかなりの程度進行した段階にあったため何らの措置もとられずに手術は終了した。

(八) 時範は、同年一〇月三一日死亡した。

3  被告の責任

被告は、昭和五六年五月二三日、六月一三日、七月二五日の三回にわたり、時範の腹部及び胸部のレントゲン撮影を行い、その結果当時の一般的医学水準に従えば同撮影にかかるレントゲン写真(フィルム、以下同じ)には十二指腸潰瘍以外の胃癌をも疑わせるに足りる充分な影像が存在したのであるから、被告としては右影像の存在を認めて、これに従った適切な診断、治療をなすべきであり、仮に、被告が適切な診断を下す能力に欠け、または自分自身で適切な加療を行うに足りる人的、物的施設を有していなかったのであれば、被告としては精密検査、その他の適切な措置をとることのできる他の病院を紹介するなり転医を勧める等すべき注意義務があったにもかかわらず、漫然とこれを怠り、右影像の存在を看過して、十二指腸潰瘍の診断を維持しこれに対する処置のみを行ったものであって、この点に被告の過失の存することは明らかである。

4  因果関係

(一) 被告は、右のとおりレントゲンフィルムを読み違え、十二指腸潰瘍に対する処置のみを行って、時範に対し胃カメラ等の精密検査及び同検査結果に基づく適切な診療行為を受ける機会を奪い、よって時範の生存の可能性を断ったものであるが、仮に被告が時範を診察した際、そのレントゲン写真を正しく読み取り、その結果に応じて胃カメラ等の精密検査を受けるよう指示し、または精密検査の諸設備の整っている病院を紹介し、若しくは転医させるなどして早期に時範の病状を正確に把握し、その結果早期に手術等の適切な治療行為がなされていたならば、時範の生存は確保し得たか若しくは少なくとも相当の期間延命し得た筈である。

(二) もっとも、時範が死亡当時満二八才の青年であり、その疾病がいわゆる若年者胃癌であったことからすると、右疾病の性質上、たとえ、被告において早期に時範の胃癌に気付き手術等適切な処置をとっていたとしても、時範の救命が果して可能であったか否か、あるいはどの程度の期間生存を確保し得たか否か、換言すれば被告の過失と時範の死亡ないし延命の可能性喪失との間に因果関係を認めるべきか否かについて問題があり、その判定が必らずしも容易でないことは原告らも否定するものではない。

そして、右の判定にあたって、時範が被告の診察を受けた当初の時範の癌の進行状況がどの程度のものであったかを知ることが、重要な要素になることはいうまでもないところ、現時点において、右診察時における時範の癌の進行状況を客観的に明らかにすることは不可能であり(被告本人の供述等によれば被告が初診時に時範を触診した結果腹部の腫瘤に触れなかったというのであるからそれほど進行した癌ではなかったとも考えられるし、一般論として、若年者胃癌の進行度は四〇才以上の成人のそれと比較して著しく早いと言われているのであるから被告が漫然と時範に薬物の投与を継続した期間に急速に進行したと推測することもあながち誤りとは言えないものと思料するが、いずれにしても時範の胃癌がどの程度進行していたかを客観的に知る術はない。)この時点での進行状況いかんによっては時範の救命の可能性は容易に肯認されたかもしれず、あるいはそうでないかもしれないのであるから被告の診察を受けた当時、時範の胃癌がすでに進行癌の段階にあった場合には、たとえ、被告が診察した時点において胃癌と診断し得たとしても当時の医療水準よりみて時範を救命することは不可能であったと判断される可能性が存することも否定するものではない。

また、若年者胃癌の五年生存率等その予後が一般胃癌に比べて悪いことも否定すべくもない事実である。

そして、これらの事実は、医師が、一応、胃癌の診断の下に直ちに手術等必要な処置を施したにもかかわらず患者が死亡したような事案においては、特段の事情のない限り、医師の無責(無過失ないし仮に、ある種の過失が認められてもそれと結果との因果関係の不存在)を推定させるものであるということができるであろう。

(三) しかし、本件はそのように医師が胃癌に対する処置を施した場合ではない。被告は、前記のとおり自から撮影したレントゲン写真に癌を疑うべき変形ないし陰影欠損がみられるにもかかわらず漫然とこれを看過して十二指腸潰瘍との診断に固執しその治療のみを続けるという重大な過失により、時範から胃癌に関する適切な診断と進行状況の確認及びこれに伴う適切な治療を受ける機会を奪ったものである。

そして、数値的には決して高いとは言えないとしても進行癌について四七ないし二六パーセントの五年生存率を確認する医学的報告がなされ、若年者胃癌についても、現に三三パーセント位の五年生存率を確認し、かつ、若年者胃癌は切除率は低いが一度切除できると大半は治癒切除を行いうるので切除予後を良好ならしめる等として救命の可能性があることを示す医学上の報告がなされていることも事実なのである。

右のごとき事実が存する以上、被告が漫然と十二指腸潰瘍に対する治療のみを続けることなく早期に適切な診断と適切な処置をとっておれば、時範の生存が確保されあるいは相当期間延命されたかもしれない可能性の存することは否定しえないところであるというべきであり、その意味で、被告の前記過失と時範の前記時点における死亡ないし延命の可能性の喪失との間にある程度の因果関係の存することは否定し難いというべきである。

それでもなお、被告が、時範について胃癌であると診断を下し、かつ直ちに手術適切な処置を講じたとしても救命は不可能であったと主張するのなら、時範という個人について救命不能の事実をその判断根拠となる事実とともに合理的に納得しうるよう被告において主張、立証すべきであり、この立証が完全になされない限り、本件においては原告らの右主張が妥当するというべきである。

被告のごとく重大な過失によって時範から病状の進行状況確認の機会を奪ったものが、その確認の方法が失われた現在、右のごとき立証もしないで、右進行状況を確認し得ないことによる不利益全部を原告らに負わせることは許されないというべきである。

(四) 右のとおり、前記被告の過失と時範の死亡ないし延命の可能性の喪失の間にある程度の因果関係の存することを否定しえない以上、損害賠償責任の有無及びその範囲について因果関係を論ずる場合にこれらの事実を全く無視して、因果関係の不明確ないし不確定からくる不利益全部を原告らに負担せしめるのが不合理なことはいうまでもない。

本件の場合、時範の死亡ないし延命の可能性の喪失が全面的に被告の前記過失に起因するとはいえないにしても、時範の死亡により被った損害のうちある程度の部分は被告の過失に起因するものとして被告がこれを賠償すべき義務を負うものと解するのが損害の公平な負担という損害賠償制度の指導理念に合し相当である。すなわち事件の解決をなすにつき損害賠償法の指導理念たる「損害の公平な負担」に照らして具体的妥当性を有する結論に至るためには因果関係も従来の「存否の概念」から「程度と割合の概念」へ止揚されて考えられるべきであり、因果関係の程度と割合に従って損害の割合的負担がなされるべきである。そうすることが、損害賠償の指導理念を現実の生きた社会において、実現することになるものと考えられるし、具体的妥当性のある解決が求められる訴訟の場において具体的正義を実現する所以である。

しかも、本件において原告らが求めているのは金銭賠償であり、不可分の一個の請求をしているのではない。かかる場合にも、全てか零かの判断しかなされないとすれば、加害者が被害者のいずれか一方に事案の実体にそぐわない苛酷な結果を強いることになることは明らかであり、「損害の公平な負担」の理念に悖ることになるというべきである。

本件のごとき場合にこそ、損害の割合的負担が考慮されてしかるべきであり、前記被告の過失の態様や生存率等諸般の事情に照らすと、時範の疾病が若年者胃癌という一般に進行速度が早いといわれるものであったことを考慮しても、時範の死亡により生じた損害のうち被告の過失行為に起因するであろう割合は少なくとも一五パーセントを下ることはないというべきである。

5  損害

(一) 逸失利益 三七二四万八一七〇円

時範は昭和二八年一月二九日生(死亡当時満二八才)で、同五四年六月歯科医師国家試験に合格し、医師免許証を取得した歯科医師であり、同五七年三月から歯科医院を開業する予定でそれまで実務経験を身に付けるため宮沢歯科医院等へ勤務する一方、自宅一階を診療所とするため自宅の全面的建て替え工事を完了するなど開業準備をなしていたものである。歯科医院を開業する歯科医師の場合極めて控え目にみても満六五才まで歯科医師として充分な活動ができるものと考えられ、時範の就労可能年数は三六年間である。開業医の一ヵ月の平均収入は三〇五万四〇〇〇円であり、これに要する諸経費は一ヵ月一一三万円と認められるのでこれを控除し、さらに生活費として時範が近い将来一家の中心的な存在になることが予定されていたので右実収入額のうち三五パーセントを控除することとし、その残額を基礎として中間利息をライプニッツ法により控除して時範の逸失利益を算定するとその金額は二億四八三二万一一三六円となる。

(305万4,000円-113万円)×12×(1-0.35)×16.5468≒2億4832万1136円

そして、本件においては、前項で主張したとおり時範の死亡による損害のうち被告の過失行為に起因して被告が負担すべき割合はどんなに少なくみても一五パーセントを下ることはないというべきであるから、前記金額のうち一五パーセント相当額である三七二四万八一七〇円が時範の逸失利益として被告が賠償すべき金額と考えられる。

(二) 時範の慰藉料   一〇〇〇万円

時範は六年越しの交際の結果歯科医院開業をまって直ちに結婚する予定の女性がいるなどこれまでの苦労が初めて実ろうとしていた矢先に本件医療事故が起ったものであって、かかる時範の精神的苦痛は何をもってしても償い得るものではないが強いて金銭をもって慰藉するとすれば諸般の事情を勘案し、一〇〇〇万円が相当である。

(三) 原告幸枝、亡中本勇次郎の固有の慰藉料          各三〇〇万円

時範の両親である原告幸枝、亡中本勇次(以下、勇次という)は自慢の息子であった時範を失い、しかも時範に適切な治療を受けさせてやれずに失ってしまったこと等その悲しみと苦痛は筆舌に尽し難いが、その精神的苦痛を金銭で慰藉するとすれば少なくとも各自金三〇〇万円が相当である。

(四) 弁護士費用     五〇〇万円

原告幸枝、勇次は原告ら訴訟代理人に対し本件訴訟を委任し、次のとおり報酬の支払いを約した。

(1) 着手金        八〇万円

(2) 謝金

認容額の八パーセント相当額

従って、右約定に基づく弁護士費用五〇〇万円は本件被告の行為と相当因果関係にある損害である。

(五) 相続

原告幸枝、勇次は時範の父母として前記逸失利益、時範の慰藉料の各二分の一を相続したが、勇次は昭和五八年八月一二日死亡したため勇次の配偶者である原告幸枝、同人の子である原告時仁、同貴恵は勇次の右相続分、前記勇次の固有の慰藉料、勇次負担分の弁護士費用をそれぞれ二分の一、四分の一、四分の一の割合で相続した。

6  よって、原告らは、各自、被告に対し不法行為に基づき、原告幸枝は四三六八万六一二七円(逸失利益二七九三万六一二七円、時範慰藉料七五〇万円、原告幸枝固有慰藉料三〇〇万円、勇次固有慰藉料一五〇万円、弁護士費用三七五万円)、原告時仁、同貴恵は各七二八万一〇二一円(逸失利益四六五万六〇二一円、時範慰藉料一二五万円、勇次固有慰藉料七五万円、弁護士費用六二万五〇〇〇円)及びこれから弁護士費用の損害を各控除した原告幸枝については内金三九九三万六一二七円、同時仁、同貴恵については各内金六六五万六〇二一円に対する本件不法行為による損害発生の日である昭和五六年一〇月三一日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因第1項の事実は認める。

2  同第2項(一)ないし(四)の事実はいずれも認め(但し、(三)の時範の体力が著しく衰弱した点は否認)、同項(五)ないし(八)の事実はいずれも知らない。

本件診療経過は次のとおりである。

(一) 昭和五六年五月一九日午後五時頃、原告幸枝より電話で診療時間外の診察のお願いと時範が胃が悪いと言っている、開業前の大事な身だし、中野まで通勤も大変であるから充分治療するよう勧めてくれとの依頼があった。同夜七時、被告は、時範を診察したが、時範の訴えでは約二ヵ月前より空腹時に痛みがあるが食欲は普通、便通一回(変通便)、多少胸やけありとのことであり、腹部膨満感はなく、触診で上腹部に圧痛あり、腫瘤触れず、肝腫脹も認めなかったので、十二指腸潰瘍と診断し、鎮痛剤の皮下注射と抗潰瘍剤、鎮痛剤四日分等を時範に投与し、勤務地中野の近くの病院か大学で見てもらうこと、両親の心配の主旨も説明した。

(二) 同月二三日、被告は、時範の胃部レントゲン撮影(以下、第一回胃レントゲン撮影という)を行い、その結果胃粘膜ひだの異常感を認めたが、時範の初診時所見及び年齢からみて悪性腫瘍ではないと考え、むしろ自分の眼を疑った。被告は時範に検便を指示したうえ、前記と同様の投薬をした。

(三) 同月二五日、被告は薬を取りに来院した時範の父勇次に対し抗潰瘍剤、鎮痛剤八日分等を投与し、同様に六月一日薬を取りに来院した勇次に抗潰瘍剤、鎮痛剤一四日分等を投与した。

(四) 同月八日、時範が胃痛のため来院したので、被告は鎮痛剤を皮下注射し、抗潰瘍剤八日分等を同人に投与したうえ、時範に対し、十二指腸潰瘍も穿孔したり、大出血したりすることがあること、中野までの通勤は大変だから、中野の近くの病院で見てもらうこと、今までのように時々被告の所に来ても治らないから早く完全な治療を受けること、開業前の大事な身体であるし両親も心配していること等を話した。

(五) 同月一三日、時範が胸通を訴えて来院し、被告は、時範の胸部レントゲン撮影、血沈検査を行ったうえ、時範に対し抗潰瘍剤を注射し、消化剤、抗潰瘍剤、鎮痛剤八日分を投与した。

(六) 同月一七日、被告は、薬を取りに来た勇次に対し消化剤、抗潰瘍剤、鎮痛剤八日分等を投与した。

(七) 同月二五日、時範は時間外(午後八時頃)に来院し、三七・二度の発熱があり、被告は、上気道炎と診断して、解熱鎮痛剤を皮下注射し、抗感冒薬、抗潰瘍剤、消化剤、鎮痛剤四日分等を時範に投与した。被告は、時範が発熱のためか食欲もないと言うので前回来院時同様に同人に対し、大事な身体だから早く徹底した治療をせよと告げ、父親が薬を取りに来るだけで、中野までの通勤、長時間の歯科の立ち仕事では治るわけがないだろうからと、佐々木病院へ行くことを勧告した。

(八) 同月二七日、被告は時範の胃レントゲン撮影、(以下第二回胃レントゲン撮影という)、血沈、屎尿判定量、貧血、肝機能等の各検査を行ったうえ、時範に対し抗潰瘍剤を注射し、抗潰瘍剤、鎮痛剤、消化剤六日分、抗感冒剤四日分等を投与した。

(九) 七月一日、被告は、薬を取り来院した勇次に対し、抗潰瘍剤、鎮痛剤六日分等を投与し、時範の検便を指示して潜血虫卵検査のため試験管を渡したが、結果的に以後持参されなかった。

(一〇) 同月九日、被告は、時範に対し七月一日と同様の投薬をした。

(一一) 同月一一日、時範は三七・八度の発熱があり、被告は同人に対し、血圧測定を行い、解熱剤、蛋白、ビタミンB1、Cを注射し、蛋白同化剤四日分を投薬し、大学病院か佐々木病院へ行くことを勧めたが、同人は八月何日頃まではどうしても休めないと言った。

(一二) 同月一七日、被告は、時範に対し、抗潰瘍剤、消化剤、鎮痛剤、蛋白同化剤各一〇日分等を投与した。

(一三) 同月二〇日、時範は夜一〇時頃来院し、被告は、時範を上気道炎と診断して、鎮痛消化剤、鎮痛剤を注射し、抗感冒剤二日分、解熱鎮痛剤四回分を投与した。

(一四) 同月二五日、被告は来院した時範の状態から貧血が強いと感じ、胸部レントゲン撮影、血沈、貧血検査を行ったうえ、点滴をなし、鎮咳剤四日分、抗潰瘍剤、消化剤、鎮痛剤各一〇日分、糖分補給八日分を投与し、一刻も早く入院するよう説得した。

(一五) 同月二六日、被告は、万一、時範が入院していない場合を慮って看護婦に時範が入院していなければ点滴をするよう指示したが、時範は、結局、入院していなかった。

(一六) 同月二七日、被告は昨日点滴までしているのであるから時範は今日は入院していると思っていたが、夕方両親とともに来院した。被告は、時範らに対し胸部写真と貧血の検査結果を示し、入院加療を一刻も急ぐことを話した。その結果時範は入院した。

3  同第3項の事実は否認し、被告に過失があったとの点は争う。

レントゲン写真では、胃あるいは十二指腸等の陰影を見ているにすぎないのであって、胃あるいは十二指腸等の内腔そのものを見ているわけではないから、特定の疾患を一〇〇パーセント確実に特定することは困難である。しかも、時範は、昭和五七年七月二五日以降(病状が悪化したと思われる時点)を除けば初診より約六七日間に僅か八回来院しているにすぎず、その中で上腹部痛を主訴として来院したのは同年五月一九日、同月二三日、六月八日の断続的な三日にすぎなく、この間、被告は、消化器疾患の重要な検査である検便を指示したが、時範はそれに従わないし、他の五回の来院は胸痛、発熱あるいは上気道炎を主訴として来院したもので、発熱も殆んど一回の来院で治癒する状態で悪性の発熱とは考えられなかったことなど右のような受診状況では一連の病気が内在していたとしても実体の把握は困難であった。さらに、被告は、右のような受診状況下で具体的には時範の胃癌を疑わずにむしろこれを否定する思考にあったが、診断した十二指腸潰瘍の穿孔や大出血を憂慮して、時範に対し、そのこと及びそれによる生命の危険を説いて再三、再四他病院での検査や入院を強く勧告したにもかかわらず、時範はこれを聞き容れなかったものである。以上のような状況からすると被告が時範の疾患について十二指腸潰瘍と診断し、胃癌と診断しなかったことは当時の医療水準よりみて過失とみるべきではない。

4  同第4項の事実は否認し、その主張は争う。

文献によれば、若年者胃癌はその発生頻度が少なく、病悩期間は平均二年一〇ヵ月もあり、早期の胃癌は無症状であって、主訴も潰瘍症状が多いこと、しかも年令が若いことから健康管理が疎かになっていること等から見逃されることが多く、発見時点ではその殆んどが進行癌であるということになる。そして、若年者進行胃癌治療切除術の遠隔成績は著しく低く、若年者胃癌の予後は不良とされている。時範の癌も佐々木病院のカルテによれば七月二九日欄にポールマンⅣ型の胃癌と記載され、手術記録上明らかなように淋巴腺転移最重度、腹膜播種著明等々手術不能で試験開腹のみで終っていることからみて、被告に受診する当時時範はすでに進行癌に侵されていたことは疑うべくもない。従って、原告ら主張の診療時点において被告が胃癌と診断し得たとしても、当時の医療水準よりみて時範を救命することは不可能であったというべきであって、仮に、被告に過失があったとしても、その過失行為と時範の死亡との間には相当因果関係はない。

5  同第5項の事実中、相続関係は認め、その余は否認する。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因第1項(当事者の地位)の事実は当事者間に争いがない。

二  同第2項(時範死亡に至る経緯)のうち(一)ないし(四)の時範が被告の診察を受けた経緯とその後の被告による診療経過の事実(但し、(三)の時範の体力が著しく衰弱したとの点は除く)は当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば時範が被告の診察を受けた経緯と被告による時範の診察経過の各詳細は被告主張の本件診療経過のとおりであることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。なお、被告が時範に対し転院等を勧めた旨のカルテ(乙第一号証)の記載について、被告はその本人尋問の中でその一部を後日記載した旨述べているが、一方、その意図は説明をするためであったとも述べており、右後日に記載した事実があるからといってそのことによって被告が時範に対し転院を勧めた事実の認定が覆されるほどのものではない。

そして、被告病院による診療後の時範死亡に至る経緯について《証拠省略》によれば次の事実を認めることができ、これに反する証拠はない。

1  時範、原告幸枝、勇次は、昭和五六年七月二七日、被告医院を退去すると直ちに被告から借り受けた時範の胸部レントゲン写真を持参して、佐々木病院に行き、同病院の医師の診察を受けたところ、即時入院を言い渡され、同夜、時範は同病院に入院した。

2  時範は、翌二八日、同病院の院長である関医師の診察を受けたが、関医師は触診の結果胃癌の恐れがあると判断し、その旨を原告幸枝らに伝えた。翌二九日、胃カメラによる精密検査の結果、時範の胃角部前壁に原発部があると思われる癌上トンネルが発見され、その後の検査によりそれが癌であることが確認された。翌月六日、時範は佐々木病院の医師により開腹手術を受けたが、胃大彎側に超手拳大の腫瘍があり胃後壁は持ち上がらず、癌は漿腹へ浸潤しておりその深達度も高度であって、肝転移はないが、腹膜播種は著名で遠隔腹膜に転移が認められ、淋巴線転移も最高度に達しているとの腹腔内所見を経て、腹膜播種のため胃癌切除を断念して試験開腹に終わった。佐々木病院の医師により時範の癌は末期の状態であると判断された。

3  時範は、同年一〇月三〇日、佐々木病院において癌末期状態で死亡した。

三  同第3項(被告の責任)について

1  以上認定の事実と《証拠省略》によれば、被告は、胃腸疾患についてはレントゲン撮影を主たる診断手段として利用して診療に従事している一般開業医であるが、前記のごとく初診時に、一応、十二指腸潰瘍と診断した後、昭和五六年五月二三日に第一回胃レントゲン撮影を行い、その結果、胃粘膜のひだに肥厚ないし粗大化があり胃角部や胃大彎側にも変形があると感じ癌や潰瘍等による変形も疑ったが、右胃の変形は分泌物が異常に多いことや食物残渣があること等の原因によっても生じると考えられたことと時範の年齢(《証拠省略》によれば全胃癌患者に対する三〇歳以下の若年者胃癌の発生頻度は四〇歳以上の癌年齢者に比べ低いことが認められる)や初診時の症状等を考慮して右変形は癌等の悪性腫瘍によるものではないと判断して、初診時の十二指腸潰瘍との診断を維持し、その後の診療過程においても右診断を変えず、結局、時範が罹患していた胃癌を疑っての処置は最後までとらなかったものと認められる。

2  しかるところ、原告らは、被告が、第一回胃レントゲン撮影以降レントゲン写真に胃癌等十二指腸潰瘍以外の悪性のものをも疑うべき陰影欠損等が認められたにもかかわらずこれを看過し、胃癌等悪性のものをも疑った処置を最後までとらなかったことをもって被告の過失であると主張するので、以下、果して、被告としては胃癌等悪性のものをも考慮した処置をすべきであったか否か、また、それをすべきであったとしてもそれはいつの時点であり、また、どのような処置をすべきであったのかを、第一回胃レントゲン撮影以降の時期につき経時的に検討することとする。

(一)  第一回胃レントゲン撮影時について

《証拠省略》によれば、第一回胃レントゲン撮影によるレントゲン写真には単に当時被告が考えていた前示のような理由による変形というよりは胃角部、大彎側の一部に胃の蠕動運動が停止して見える状態、さらに大彎側に陰影欠損の影像(以下、陰影欠損等の影像という)が存在しており、右影像は胃癌、胃潰瘍の場合にも見られるものであることが認められる。そして、被告自身その本人尋問の中で現時点では右影像の存在を認めることができる旨の供述していることからすると、他に特段の事由が主張、立証されない限り、右当時でも被告がより慎重に右レントゲン写真を解読するよう努めておれば、右影像が単にその当時被告が考えていた前示のような理由によるものでないことに気付いていた筈であると推認するのが相当であり、その意味で被告の右レントゲン写真の解読に不充分な点(見落し)があったことは否定し難いというのが相当である。

しかしながら、右影像が、被告のような立場にある開業医が右影像に気づいた場合に、その時点で、更に経過観察を経ることもなく、直ちに胃癌の疑いに基づき、それに対応した処置をとるべきであったというべき程度のものであることを認めるに足りる証拠はない。

そうすると、被告のような立場の開業医が右時点で直ちに精密検査等を指示せずに、右の階段では、ひとまず薬剤の投与等の療法を続けながら定期的な触診、レントゲン検査等によって経過を観察し、何らかの異常を認めれば、その時点で精密検査、手術等を受けさせるために大病院等へ転院を指示するなどの処置をとろうとしたとしても、そのこと自体あながち不当なものであるとは速断し得ない。

そして、時範の右レントゲン撮影時までの症状を考え合せても、当然、右時点で十二指腸潰瘍以外の癌等を疑った処置をすべきであったと断ずるに足る証拠はなく、そうだとすると、被告に前記のようなレントゲン写真の見落しという不注意な点があることは否定しないにしても、右時点で癌等を疑った措置をとらなかったことをもって、直ちに同人の過失であると断ずることはできないと言わざるを得ない。

(二)  第一回の胸部レントゲン撮影時について

被告が、昭和五六年六月一三日に時範の胸部レントゲン写真撮影を行ったことは前示のとおりであり、《証拠省略》によれば、被告は、右レントゲン写真をみて肺門部の陰影がやや濃いのではないかとの感じは持ったが、右陰影が癌の転位等悪性腫瘍によるものとまでは考えなかったこと、しかし、右陰影は、後日の佐々木病院の診断によれば癌の転位によるものであったと推認できるものであること(《証拠省略》の昭和五六年七月三一日、八月二六日、九月四日付カルテ部分参照)が認められる。

しかしながら、右陰影がそれ自体として右撮影時点で、被告のような一般開業医をして直ちに癌の転位等による悪性のものであることを疑わせるに足るものであったことを認めるに足りる証拠はなく、その他、時範の右時点までの前示症状を併せ考えても、右時点で被告が胃癌等悪性のものを考慮して処置すべきであったと断じてよいかどうかは明らかでなく、他にこれを認めさせるに足る証拠はない。

(三)  第二回胃レントゲン撮影時について

被告が昭和五六年六月二七日に第二回胃レントゲン撮影を行ったことは前示のとおりであり、《証拠省略》によれば被告が右時点で再び胃のレントゲン撮影を行ったのは第一回胃レントゲン撮影の結果癌の疑いもあるのではないかとの懸念を持っており、また、前示治療にもかかわらず時範の症状が改善されなかったからであること、その結果、被告は、第一回胃レントゲン撮影の時と同様、時範の胃角部に変形と胃の粘膜に肥厚があることを認めたのであるが、この時も時範の年齢、一般状態等から考えて結局、癌の疑いを否定したこと、しかし、右レントゲン写真にも被告が読影した胃角部の変形というよりも第一回胃レントゲン撮影の結果認められたと同じく胃癌の場合にもみられる大彎側の陰影欠損等の影像が存在していたことが認められる。

しかるところ、右第二回胃レントゲン撮影時のレントゲン写真の影像も、それ自体から直ちに被告のような立場の医師をして胃癌をも疑わせそれに対応する治療等を行わせることを期待しうる程のものであったことを認めさせるに足る証拠はないが、右に認定したとおり被告自身、第一回胃レントゲン撮影の時点で既に癌の疑いもあるのでないかとの懸念は持っていたのであり、また第二回胃レントゲン撮影を行ったのも、右のごとき懸念があり、かつ昭和五六年五月一九日の初診時以来、第二回胃レントゲン撮影時まで約四〇日間にわたって潰瘍治療剤等の投薬を続けていたにもかかわらず、時範の上腹部痛等の症状が改善されなかったためであると認められることからすると、被告としては、時範の年令や多忙な勤務状態を考え合わせたにしても、右時点では、従前のごとく簡単に胃癌等の疑いを打消すことなく第一、二回胃レントゲン撮影の写真をより正確に読解するように努め一層慎重に診断を下すべきであったのであり、そうしておれば、被告自身、前記陰影の状態からみて胃癌等の疑いをたやすく否定しえないことに気付き(前示(一)の判示参照)、これに対応した処置をとっていた筈であり、また、そうすべきであったと認められるというのが相当である。そして、被告が前示のとおりレントゲン撮影を主たる診断手段として胃腸疾患の診療にあたっている一般開業医であることからすると、この場合に被告がとるべき具体的な処置は、時範に対しより精密な検査、診断が必要であることを説明し、より精密な検査、診療をなしうる病院で診断、診療を受けるよう転院を勧めることであったと考えられる。

そうだとすると、右時点においても、前示のごとく胃癌等の疑いを否定してこれに対応した処置をとらず、十二指腸潰瘍との診断を前提とした治療を続けていた被告に、右時点で上記義務に反した過失のあることは否定できないというのが相当である。

被告が、時範に対し第二回胃レントゲン撮影前に十二指腸潰瘍による穿孔や大出血を憂慮し、また時範の母親である原告幸枝から開業前の体だから時範に休養して休むよう指示して欲しいとの依頼があったことから時範の勤務地近くの病院等に転院を勧めたことは前記認定のとおりであるが、右勧告は、癌の疑いのもとに胃カメラ等の精密検査をうけさせる為の転院指示ではなかったのであるから、右勧告の事実があるからと言って被告が右癌の疑いに基づいて、それに対応する適切な処置をしたということにはならない。

なお、以上は、各レントゲン撮影が行われた時点について、被告の過失を検討したものであるが、第二回胃レントゲン撮影以前の時期で、既に検討した以外の時期に原告ら主張のごとき被告の過失があったことを認めるに足る証拠はない。

四  因果関係

そこで、次に、昭和五六年六月二七日の第二回胃レントゲン撮影時での被告の右過失行為と時範の死亡ないし延命の可能性喪失との間の因果関係について判断する。

本件において時範が同年七月二七日に佐々木病院へ転院し、同年八月六日に胃癌切除手術を受けたが、腹膜播種の為試験開腹に終わり癌末期状態で同年一〇月三一日死亡したことは、前記認定のとおりであるが、もし、被告が前記注意義務を尽し、第二回胃レントゲン撮影を行った同年六月二七日の時点で胃癌の疑いをもって直ちに時範ないしその両親に対しその必要性を説明しつつ、胃カメラ等の精密検査を受けるよう指示して転院を勧めたとすれば、時範が右勧告に従って直ちに佐々木病院等適当な病院に転院したであろうことは充分考えられるところであり、そうであれば、その後は本件におけると同様、速やかに胃癌の確認、手術等の手続がとられ本件での経過よりおよそ一ヵ月位早い時期に手術が行われ得たことも、可能性としては考えられないことではない。

しかし、そうだとしても、そのことから直ちに、右時点で転院が行われていれば、時範の救命ないし延命が可能であったということにはならない。この問題が解決されるためには、まず第一に、右時点における時範の胃癌の進行状況等その病状が明らかにされねばならないが、本件証拠上これを端的に証する証拠はなく前記認定の佐々木病院での手術時の腹腔内所見等から、右転院時点での胃癌の進行状況等を推認することも困難である。時範の胃癌がいつ発生し、右転院時点での胃癌の状態がどの程度のものであったか、転移の有無等を明らかにする証拠の存しない以上、右転院時点での胃癌切除手術の可否等時範の救命ないし延命の可能性の有無及びその程度を解明することは困難であるといわざるを得ない。

《証拠省略》によれば、原告ら主張のごとき医学上の報告がなされていることは認められるが、それが若年者胃癌等の臨床的、病理組織学的研究結果の報告であり、各症例を通じて一般胃癌との対比で若年者胃癌に見られる特質等を抽象的にまとめているものであることと、個々の具体的事例における胃癌の進行状況、転移の有無等は優れて個別的なものであり、個々の症例毎に異なってくると考えられることを斟酌すると、右研究結果をそのまま本件に適用してそこから時範の救命ないし延命の可能性を推認するのも相当でないといわざるを得ない。

以上のとおりとすると、被告が、昭和五六年六月二七日、胃癌と疑って直ちに精密検査の為の転院を指示し、胃癌の発見、治療が前記のとおり早くなったとしても、これにより時範が死の結果を免れたり、その死期を相当期間遅らせることができたと判断することは極めて困難というほかなく、結局前記被告の過失行為と時範の死亡ないし延命の可能性喪失との間の相当因果関係については訴訟上の証明がないものといわざるを得ない。

原告らは、被告は自からの過失によって時範から病状の進行状況確認の機会を奪ったものであり、前記のごとき救命の可能性があることを示す報告が存するのであるから、それでもなお救命が不可能であったというのであれば、むしろ、被告の方でそのことを具体的に根拠となる事実をあげて主張、立証すべきである旨主張するが、救命の可能性を示す報告の存在によって本件の被告の過失行為と時範の死亡ないし延命の可能性喪失との間の相当因果関係の存在を認めることができないのは前記のとおりであり、右のごとく被告の過失行為により結果的に時範の病状の進行状況確認の機会が失われたような場合には抽象的にせよ救命の可能性が認められる以上、一応、被告の過失行為と時範の死との間に因果関係を認めよというのは、因果関係の問題が、元来、具体的な事実に基づいて判断されるべき事実的な問題であることからすると、一種の擬制であると言うべきであり、かかる擬制を許すべき根拠規定がなく、また、それが広く一般の不法行為事件にも妥当しうるものであるか否についても疑問の存することからすると、原告らの右主張をたやすく採用することはできない。

また、原告らは、損害の公平な負担という損害賠償法の指導理念に照らし具体的妥当性を有する結論に至る為には、因果関係を存否の概念のみではなく程度と割合の概念として考え、因果関係の程度と割合に従って損害を負担させるべきであって、本件は時範の死亡が被告の過失行為に全面的に起因するとは言えないにしてもある程度の部分起因するもので、その割合は少なくとも一五パーセントを下ることはない旨主張するところ、原告らの因果関係に関する右見解には、検討に値するものがあるにしても、これを容れるためには、まず、被告の前記過失行為が時範の前記死亡の一因になっていることが具体的に立証されねばならないが、本件で前記因果関係について判示したところからすると、原告らが主張するいわば抽象的な可能性としてはともかく、具体的に被告の過失行為がある程度時範の死亡の原因となっていること自体明らかでないといわざるを得ず、原告らの右主張も採用できない。

五  よって、その余の点を判断するまでもなく、原告らの被告に対する時範の死亡による損害賠償請求及び時範の死期を早めたことによる損害賠償請求を認めることはできない。なお、本訴請求を被告の過失行為によって時範の両親である原告幸枝及び勇次が時範に対し適切な治療を受けさせる機会を奪われたこと自体による慰藉料請求を含むものであるとし、原告幸枝らが時範の両親として最後まで適切な治療を受けさせることが出来なかったことを遺憾とする心情は十分に理解するにしても、その心情を適切な治療を受けさせればあるいは死を免れたかもしれないとの期待と切り離した別個のものとして、不法行為の規定によって保護されるべき独立の法律上の利益といえるかどうかは疑問であり、右請求も認容し得ないものと考える。

六  以上の次第で、本訴請求は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 上野茂 裁判官 池田亮一 加々美博久)

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